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山旅をする意味。

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 僕は、山に登る。

 

できる限り社会と断絶した状況、場所を作りだし、そこに自分自身を置きたいからだ。

 

そして、そんな状況、場所に最適だったのが山だったからというだけであって、日本百名山に登りたい、〇〇岳の頂上に登りたいという思いはない。

電化製品、燃料は持っていかない。

 

食料は米と塩。オカズは現地調達。

 

登山道は使用せず、沢を登りながら頂上へ向かう。

それは、他者から、社会から断絶した状態に近づくためだ。

 

そんな、山旅のお話。

 

 

 

よく批判されることがある。

それは
「服装やバックパック、シュラフなども自分の力で作ったわけではないじゃないか。」
ということ。

まず、僕がなぜ山旅を行なうか。それはなかなか言葉で表現できるものでは無いが、友人O氏の言葉を借りると、

人間は他者=社会という関係の総体であるから、それを否定するのではなく認めたうえで、なるべくそうした関係から断絶した状況をつくりだし、その状況で何を体感するかを探究する。それが山旅である。

と言うことができる。

そんな山旅だけど、元を辿っていけば服装やバックパックは社会が作り出したもので、自分で作り出したものではない。だから他者=社会の関係から抜け出したわけではないといえる。

だからこの批判は最もだと思う。

本当なら僕の山旅も、

一ヶ月間ほど山にこもって米に代わる食料を溜め込み、服も着ず、寒さをしのげるだけの毛皮などを手に入れ、それらを持って移動できるバッグを木の皮や蔓などで作成する。

そんな準備をして、社会が作った道具などを使用しないで登山を行なうことで、本当の意味で他者=社会という関係を断絶した状況を作り出せるのかも知れない。

実際はそこまで実現できていないのが現状だ。だから、山旅もまだまだ発展途上である。

しかし、そこまでしなくてもオシッコを飲まなくてはならなくなったり、熊が目の前に現れたりする
という状況下に、山旅(登山道を通らないで登山をする。電気製品、燃料は持っていかず、食料も米のみ。おかずは現地調達etc...)をすることによって自分自身を置くことができる。

だから、上の質問には「そこまでしなくても自分自身を置きたい状況を生み出すことができるから」
と答えられる。

”人間は他者=社会という関係の総体であるから、それを否定するのではなく認めたうえで、なるべくそうした関係から断絶した状況をつくりだし、その状況で何を体感するかを探究する。それが山旅である。”

僕の考える山旅を文章に表そうとすれば、今のところ、この文章が最も当てはまっている。


『本当なら僕の山旅も、

一ヶ月間ほど山にこもって米に代わる食料を溜め込み、服も着ず、寒さをしのげるだけの毛皮などを手に入れ、それらを持って移動できるバッグを木の皮や蔓などで作成する。

そんな準備をして、社会が作った道具などを使用しないで登山を行なうことで、本当の意味で他者=社会という関係を断絶した状況を作り出せるのかも知れない。』

こう書いたが、こんな山旅、一度やってみるべきだ、やってみたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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